人生の意味とは何か?答えを探し続けてきた自分が、今思うこと

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人生のぎもん

ふと、こんな疑問が頭をよぎることはありませんか。

「自分って、何のために生きてるんだろう」

深夜にひとりでいるとき。仕事でうまくいかない日の帰り道。あるいは、なんでもない日曜の午後に、なんとなくぼーっとしていて——そういう瞬間に、この問いは静かにやってくる気がします。

正直なところ、これって誰しもが一度は頭をよぎる問いなんじゃないかと思います。「人生の意味とは何か」というキーワードで、毎月何万人もの人が検索しているらしい。ということは、みんなどこかでこの問いを持て余している。

今回は、この「人生の意味」という問いをいっしょにゆるく考えてみたいと思います。答えは出ないかもしれないけれど、考えること自体が、たぶん意味のないことではないので。


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なぜ「人生の意味」なんて考えてしまうのか

人間だけが持つ、ちょっと不思議な問い

他の生き物は、たぶんこんなこと考えません。犬は「自分の存在意義とは」と悩まないし、ハチは「なぜ蜜を集めるのか」と哲学しない(たぶん)。人間だけが、自分の存在に「なぜ」と問いかける。これ、よく考えるとすごいことだと思うんですよね。

脳が発達して、先のことを想像できるようになった結果、「いつかは死ぬ」という事実に気づいてしまった。それが、意味を問わずにはいられない根っこにあるのかもしれません。

「意味が問われやすい瞬間」というのがある

人生の意味って、余裕があるときよりも、ちょっとしんどい時期に問われることが多い気がします。思い通りにならないとき、頑張っても報われなかったとき、大きな喪失を経験したとき。

気分や感情が、人生の意味の知覚に大きく影響するという研究もあって、落ち込んでいるときほど「自分の人生に意味はない」と感じやすくなるそうです。だとしたら、「意味が感じられない」と思う瞬間は、体や心がちょっと疲れているサインかもしれない。そう考えると、少しだけ楽になれる気がしませんか。


「人生の意味」について、世の中ではどんな答えが語られてきたのか

哲学者たちは何千年も前から悩んでいた

この問いに向き合ってきたのは、現代の私たちだけじゃない。古代ギリシャから現代まで、賢い人たちがずっと考え続けてきた問いです。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間の究極の目的は「幸福」であり、徳を実践し理性を活用することで達成されると説きました。一方、実存主義の哲学者サルトルは、人生に予め定められた意味はなく、各個人が自由な選択と行動を通じて自らの人生に意味を与えていくと主張しました。

つまり、「意味はもともとある」派と「自分で作るもの」派、大きく分けるとこの2つが長い間ぶつかり合ってきたわけです。どちらが正しいか、今でも結論は出ていない。哲学者たちでも決着がつかないんだから、私たちが悩んで当然です。

「人生は問いを返してくる」というフランクルの話

この問いを語るときに避けては通れないのが、精神科医のヴィクトール・フランクルです。

フランクルはこう述べています——「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである」と。

なかなかパンチの効いた言葉だなと思います。「意味を探すな、人生からの問いに答えろ」というわけですよね。ナチスの強制収容所という極限状態を生き延びた人の言葉だからこそ、妙な重さがある。

アンケートでは「意味がない」と答える人も3割いる

あるアンケートでは「人生に意味はあると思いますか?」という問いに対して、「ない」と答えた人が3割近くにのぼりました。

「ない」と感じている人がそんなにいるのか、と最初は少し驚きました。でも考えてみると、「意味がない」という感覚も、それはそれで正直な認識なのかもしれない。虚無感を抱えながらも、それでも生きている。それ自体がもう、すごいことじゃないかとも思います。


「意味を探し続けた自分」を少し振り返る 🤔

20代のころ、「人生の目的」を真剣に考えすぎていた

少し個人的な話になりますが、20代のころ、この問いにかなり真剣に向き合っていた時期がありました。

「自分は何のために生きているのか」「自分の使命は何か」——そういうことを毎日のようにノートに書き続けていた。今思うとちょっと痛い(笑)。でも当時は本気で、答えを出さないといけないと思っていたんですよね。

本を読み、セミナーに行き、哲学書を読み、それでも答えは出ない。当時の自分はそのことに焦りを感じていました。「まだ答えが見つかっていない、これでいいのか」みたいな。

「答えが出ていないこと自体が答え」かもしれない、と気づいた

転機になったのは、ある日友人と話していたときです。「なんで人生の意味を探してるの?」と聞かれて、うまく答えられなかった。

意味を探していること自体が、なんとなく充実している状態だったのかもしれない。答えが出たら終わりじゃなくて、探し続けること自体が「生きている状態」なんじゃないかと、そのときぼんやり感じました。

今の自分は、あのころより少し肩の力が抜けている気がします。答えを出すのをやめたというより、答えは常に更新されていくものだと思えるようになった、というか。


「意味がある」と感じる瞬間はどんなときか

誰かの役に立てたとき、なぜかすっきりする

理屈ではなく、体感として「意味があった」と感じる瞬間ってあると思うんです。

誰かに「ありがとう」と言われたとき。久しぶりに会った友人が笑ってくれたとき。仕事でうまくいかなかった後輩に、少し声をかけたら少し表情が和らいだとき。そういう小さな場面で、「ああ、今日は生きてたな」という感覚がある。

イギリスの国民保健サービス(NHS)が推奨する精神的健康の5つの方法として、地域や家族とつながること、身体的運動、生涯学習、他の人に与えること、マインドフルネスが挙げられています。「他の人に与えること」が含まれているのは、誰かの役に立つことが充実感に直結しているから、という背景があるんでしょうね。

「今この瞬間」だけに集中しているとき

もうひとつ、意味を感じやすい場面があります。それは、何かに没頭しているとき。

料理をしているとき。好きな本を読んでいるとき。夢中でやっている趣味の最中。そういうときって、「意味があるのかどうか」を考えもしない。考える暇がない。

「意味は常に何かに対して存在する」という視点があります。つまり、対象が明確なほど、意味を感じやすいということ。逆に言えば、「人生全体の意味」を漠然と探すより、目の前の何かに真剣に向き合う方が、ずっとリアルな充実感に近いのかもしれない。


「意味を考えるためのヒント」をいくつか 💡

「問いを変えてみる」という方法

「人生の意味とは何か」という問いは、大きすぎて答えが出にくい。だから少し問いを変えてみるのも手かもしれません。

「昨日、何が楽しかったか」「来週、何を楽しみにしているか」「最近、誰に感謝したか」——こういう、小さくて具体的な問いに変えるだけで、意外とすっきり答えが出てくる。大きな問いへの答えは、こういう小さな問いの積み重ねの中にあるのかもしれません。

「意味は後からつく」という考え方もある

人間は成長し変化するため、今は意味を感じられなくても、将来振り返ったときに意味を見出す可能性があるという視点もあります。スティーブ・ジョブズが「コネクティング・ザ・ドッツ」と言っていたあれです。点は後からつながる。

今は意味がわからないと感じていても、それが数年後に「あのことがあったから今の自分がある」という話になる——そういう経験、一度くらいあるんじゃないでしょうか。

「意味がなくてもいい」という発想

これは少し過激に聞こえるかもしれませんが、「人生に意味がなくてもいいじゃないか」という考え方もあります。

「人生に意味はそれぞれの人が自分で決めることだろう」という言葉があります。「死ぬまでの最高の暇つぶし」と言い切る人もいて、それはそれで潔い気もする。意味を探すことに疲れたら、一旦「意味なんてなくていいか」と開き直るのも、悪くない休息の仕方かもしれません。


まとめにかえて——この問いは、終わらなくていい 🌿

「人生の意味とは何か」。

調べれば調べるほど、答えが増えていく問いです。哲学者、心理学者、宗教家、アスリート、一般の人——みんながそれぞれの答えを持っていて、全部違う。それが面白いとも思うし、ちょっと途方に暮れるとも思う。

ただ、ひとつだけ確かに言えそうなのは、この問いを持つこと自体が、生きていることの証明だということ。考えなければ、問わなければ、その疑問は生まれない。

答えが出なくていい。今日も問い続けているなら、それで充分じゃないかと、今の自分は思っています。

あなたにとって「人生の意味」は何ですか?——それとも、まだわからない感じですか?

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