ふと気づくと、なんか寂しい。
誰かといるのに、なぜか遠い。スマホを開けば知り合いの近況が流れてくるのに、胸の中にぽっかりと穴が空いたような感覚が消えない。
そんな経験、ありませんか?
かくいう私も、20代の頃、友人がそれなりにいて、仕事も忙しくして、客観的に見れば「普通に社会に馴染んでいる人間」だったはずなのに、ある夜、電車に乗りながら「あれ、自分ってものすごく孤独かもしれない」と急に感じた瞬間があります。なんだったんでしょう、あれ。
今日はそんな「孤独」という、誰もが感じたことがあるのに、うまく言葉にしにくい感覚について、一緒にゆっくり考えてみたいと思います。答えを出す記事ではありません。でも、考えるきっかけくらいにはなれるかも。
人はなぜ孤独を感じるのか、そもそも
孤独とは「一人でいること」じゃなかった
まず最初に、ちょっとした誤解を解いておきたいのですが——「孤独=一人でいること」ではないんですよね。
哲学者の三木清は、こんなことを書いています。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである」と。
なんかわかる気がしませんか。山奥で一人でいても「孤独だ」と感じない人がいる一方で、賑やかな飲み会の席で、笑いながらも心はどこか遠くにいる——そういう体験、たぶん多くの人がしているはずです。
つまり孤独とは、周囲に人がいるかどうかの問題ではなく、「心を通わせていると感じられるかどうか」の問題なんです。これ、大事なポイントなので少し覚えておいてください。
人間は群れる動物——だから孤独は痛い
もう少し根っこのところから考えると、人間は本来、群れで生きてきた動物です。大昔、一人では野生動物に食べられてしまう。誰かと協力しなければ食べものも手に入らない。そういう時代が、数百万年続いていました。
だから私たちの脳は、社会的なつながりが切れると「危険信号」を出すように設計されている、という研究があります。孤独感が「痛み」に似た感覚として感じられるのも、そのためかもしれません。飢えや渇きと同じように、「つながりが足りていない」というアラームが体の中で鳴っているイメージです。
孤独を感じること自体は、人間として当たり前のことなんですよね。問題は、そのアラームが鳴りっぱなしになってしまう状態のほうで。
現代はなぜこんなにも孤独な人が多いのか
つながりが増えたのに、なぜか遠くなった
SNS、メッセージアプリ、ビデオ通話——今の時代、技術的には人とつながる手段がありあまるほどあります。なのに孤独を感じる人が増えているって、なんか矛盾していますよね。
でも、これは「量」と「質」の問題なのかなと私は思っています。
LINEで「了解です」と返信する。インスタに「いいね」を押す。それは確かに「つながっている」ことなんですが、心の奥まで届いているかというと……正直怪しいです(笑)。表面をなぞっているだけで、本当に「わかり合えた」という感覚が生まれにくい。
しかもSNSでは、他人の楽しそうな瞬間だけが切り取られて流れてきます。「みんなは充実してるのに、自分だけ……」という比較が生まれやすく、それが孤独感をさらに深めてしまうという悪循環があります。
日本の「孤独大国」化という現実
2021年、日本政府は「孤独・孤立対策担当大臣」という役職を新設しました。イギリスに続いて世界で2番目です。孤独が個人の問題ではなく、社会的な問題として認識されるようになってきたということ。
核家族化が進み、地域のつながりが薄くなり、都市では隣の人の名前も知らないまま何年も過ごすことがある。テレワークの普及でオフィスで雑談する機会も減った。社会の構造自体が、孤独を生みやすくなっているのかもしれません。
これは個人の努力だけで解決できる問題じゃない部分もありますよね。
孤独になりやすい人には、何か共通点があるのか
心の壁を高くしているのは、自分自身かもしれない
正直に言うと、孤独を感じやすい人には、ある傾向があると思っています。私自身も含めて。
それは、「本当の自分を見せることへの恐れ」です。
「こんなこと言ったら引かれるかな」「弱みを見せたら馬鹿にされるかな」「迷惑をかけちゃいけない」——そういう気持ちで、自分に分厚い鎧を着せてしまう。
でも鎧を着ていたら、相手の言葉も体に届かない。自分から壁を作っておいて「誰もわかってくれない」と感じている——そういうサイクル、ありませんか。自分が心を開かないから相手も開かない、という。
昔の私はそうでした。今思うと、わりと重症でした(笑)。
「わかってほしい」と「見せたくない」の矛盾
孤独を感じている人の心の中を想像すると、「わかってほしい」という気持ちと「でも見せたくない」という気持ちが同居していることが多い気がします。
すごく矛盾しているんですが、これ、すごくわかるんですよね。
傷つきたくない。また裏切られたくない。「どうせわかってもらえない」という予防線を張るほうが楽だから、先に心を閉じてしまう。でも心を閉じたら、当然つながりは薄くなる。だから孤独になる。
この逆説は、孤独という感情のなかでも、一番やっかいな部分かもしれません。
孤独は、ほんとうに悪いものなのか
孤独が人を深くする、という話
ここで少し視点を変えてみたいのですが——孤独って、本当に「悪いもの」なんでしょうか?
詩人や哲学者、芸術家の多くが「孤独の時間が創造性を育てた」と語っています。一人でぼんやりとした時間のなかで、自分の内側と向き合い、普段は気づかないことに気づく。そういう体験、実はけっこう貴重だと思うんです。
また、孤独を経験したことで、他者の孤独に敏感になれることもあります。つらい気持ちは、経験した人にしか本当にはわからない。だから孤独を知っている人は、誰かが「寂しい」と言ったとき、深いところで受け止められる。
「孤独は悪いもの→早く解消しなければ」という発想を、少しだけ脇に置いてみると、また別の景色が見えてくるかもしれません。
「孤立」と「孤独」は、たぶん別物
ただ一つ区別しておきたいのは、「孤立」と「孤独」は別物だということです。🌿
孤独は、一人でいても、自分の中に何かが充実している状態でも感じられる。それは必ずしもつらいだけではない。
でも孤立は、社会との接点そのものが断たれている状態です。これは心身にとって本当に危険で、長期化すると健康への影響も出てくる。国もそれを問題視して、孤独・孤立対策に取り組んでいます。
自分が今感じているのは「孤独感」なのか「孤立」なのか、少し立ち止まって考えてみることは大事かもしれません。
では、孤独とどう向き合えばいいのか
解消しようとするほど遠くなるかもしれない
「孤独を解消する10の方法!」みたいな記事、世の中にたくさんありますよね。読んだことあります。実践したこともあります。
でも正直に言うと、「孤独を解消しよう」という焦りで人と関わると、うまくいかないことが多い気がします。「つながりを作らないといけない」「友達を増やさないといけない」という義務感で動くと、どこか空回りする。
哲学者の岸見一郎さんも、孤独から逃れるために誰かと一緒にいたがる人は、かえって孤独になると指摘しています。孤独が怖いから、とにかく人の中にいようとする——でも心はついていかない、という状態です。
なんというか、孤独と向き合うにはある種の「腹をくくり」が必要なのかもしれません。😌
「つながり」の質を問い直す
数ではなく、質。それが結局は大事なのかもしれません。
100人の知り合いより、「この人には本音が言える」という一人。週に何度も顔を合わせる同僚より、年に一度しか会わなくても話すたびに「わかってもらえた」と感じられる友人。
自分の周りにいる人との関係を、少しだけ見直してみるのもいいかもしれません。特別なことをしなくても、少し踏み込んで話してみるだけで、意外と変わることもあります。私もそういう経験が何度かあって、「なんだ、話せばよかっただけか」と拍子抜けしたことがあります(笑)。
ただ、それが難しいのもわかっている。最初の一歩が一番重い。
孤独について、あなたはどう思いますか
人が孤独になる理由は、一つじゃないと思います。
社会の構造の問題もある。自分の心の問題もある。そもそも人間が群れで生きる動物だから、という生物学的な話もある。あるいは「本当の自分を見せること」への恐れが、知らず知らずのうちに壁を作っているという話もある。
どれか一つが「正解」というよりは、それぞれが絡み合って、孤独という感覚を作っているのかなと私は思っています。
孤独を「悪いもの」として急いで消そうとするのではなく、「今、自分は孤独を感じているんだな」とまず受け止めてみること。そこから少しだけ、自分の内側を覗いてみること。それだけで、何かが少し変わるかもしれません。
完全に孤独を感じない人間なんていないと思うし、たぶんそれでいい。
最後にひとつ聞いてみたいのですが——あなたが「孤独だな」と感じたのは、どんな瞬間でしたか? 🌙 思い当たることがあれば、ちょっとそれを思い浮かべながら、今日の夜を過ごしてみてください。


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