人はなぜ自分を責めてしまうのか——「また私のせいだ」の正体を、一緒に考えてみる

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人生のぎもん

何かうまくいかないことがあったとき、気づいたら頭の中で「あのとき、ああすればよかった」「やっぱり私が悪かったんだ」とつぶやいていたりしませんか。

誰かに怒られたわけじゃない。でも、なんとなく自分が悪い気がしてしまう。そして、そんなふうに考えてしまう自分のことも、また責めてしまう。

正直、私もずっとそういうタイプでした。打ち合わせがうまくいかなければ「準備が足りなかったせいだ」、誰かとすれ違えば「自分の伝え方が悪かったのかな」と。今思えば、かなりのエネルギーを自分責めに費やしてきたように思います(笑)。

そもそも、なぜ人はこんなにも自分を責めてしまうんでしょうか。今日はそのことを、一緒にゆるく考えてみたいと思います。


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自分を責めてしまうのは、弱いからじゃない気がする

「また私が悪かったのかな」がループする

自分を責めてしまう人のことを「メンタルが弱い」とか「ネガティブ思考」とひとことで片付ける見方がありますよね。でも、ちょっと待ってほしい、と思うんです。

自分を責めやすい人って、たいてい「他の人に迷惑をかけたくない」「ちゃんとやりたい」という気持ちが強い。それって別に弱さじゃなくて、一種の誠実さだと思うんです。

ただ、その誠実さが暴走してしまうとき——何かがうまくいかないたびに自動的に「私のせい」モードが起動してしまう。そのループが苦しいんですよね。

責める自分を、さらに責めてしまう

さらにやっかいなのが、「また自分を責めてる。こんなにくよくよして情けない」という二重の自責です。

一度ミスをして自分を責め、そのくよくよしている自分をまた責める。この構造に気づいたとき、なんだか妙におかしくて、でも笑えないな、と思いました。「自分責め」の上に「自分責め」を重ねてどこへ向かおうとしているんだ、と。

でも、この二重構造になっている人って、実はかなり多いんじゃないかと思っています。


そもそも、なぜ人は自分を責めるのか

「コントロールできる感覚」が欲しくて

心理学の世界では、自分を責めることには「コントロール幻想」という側面があると言われています。

どういうことかというと——「自分が悪かったから、こうなった」と思うことで、「次はうまくやれるかもしれない」という希望が生まれる。「自分のせい」にすることで、混沌とした状況に意味と秩序を見出そうとしているんです。

誰かに傷つけられても、理不尽な目に遭っても、「自分に何か問題があったのかも」と考えることで、「世界は意味不明なものじゃない」と安心できる——そういう心理的なメカニズムがあるらしい。

なんか、せつないですよね。でも、人間ってそういう生き物なのかもしれないとも思います。

脳はネガティブを強く刻みつける

もうひとつ、純粋に生物学的な話もあります。

人間の脳は、ポジティブな記憶よりもネガティブな記憶をより強く、より長く保存するようにできているそうです。これは「ネガティビティバイアス」と呼ばれていて、危険から身を守るために進化の過程で獲得した機能らしい。

昔の人間にとっては、「前回うまくいった狩り」より「前回失敗して怪我をした場所」を覚えていることのほうが生存に直結していた。だから脳は失敗をよく覚えている。

……でも現代では、「あのとき会議でうまく話せなかった」という記憶が鮮明に残り続けるわけです。進化の産物が、現代人のメンタルをじわじわと削っている(笑)。


😔 自責しやすい人には、やさしさが宿っている

他人を傷つけたくないから、矛先が内側に向く

心理的な観点でおもしろいなと思うのが、「自責しやすい人ほど、実は怒りを外に出すのが苦手」という話です。

何か問題が起きたとき、本当は「あの人の言い方が嫌だった」「あの状況が理不尽だった」と感じていても、その怒りや悲しみを外に向けることができない。傷つけたくない、争いたくない、という気持ちが強くて——その感情の矛先が、自分の内側に向かってしまう。

つまり、自分を責めるのは、他人への配慮の裏返しでもあるんです。やさしい、と言えばやさしい。でも、その分だけ自分が削れていく。

責任感の強さが、自分への刃になる

責任感が強いことは、周囲からは「頼れる人」として評価されることが多い。でも同時に、「自分が責任を持てばよかった」「もっとちゃんとやれたはず」という回路も同時に育っていきます。

責任感と自責感は、コインの表と裏みたいなものなのかもしれない。どちらも同じ根っこから生えているんですよね。

私自身もそうで、「任された仕事はちゃんとやりたい」という気持ちがある一方で、うまくいかないと「自分の力が足りなかった」と真っ先に思ってしまう。その真面目さが、ときに自分への過負荷になっていたんだと、今ならわかります。


「自責=悪」とは言い切れないと思う理由

反省と自責は、似ているけれど違う

ここで少し立ち止まってみたいんですが——「自分を責めること」って、本当に全部悪いことなんでしょうか。

「自責は良くない、もっと自分に優しく」という言葉をよく見かけます。それはそうなんですが、同時に「反省なしに成長はない」とも思う。

この2つ、何が違うのかというと——反省は前を向いている、自責は過去にとどまっている、という違いかなと個人的には考えています。

「次はこうしよう」と次の行動に繋がるなら、それは反省。「あのときの自分はダメだった」とただ繰り返すだけなら、それは自責のループ。後者は、何も生み出さないまま消耗するだけなんですよね。

自責のループにはまるとき、何かが止まっている

自責がループするとき、何かが「止まっている」感じがしませんか。

考えてみると、自責をしている間は——問題の本質に目を向けることも、解決策を考えることも、人に相談することも、しなくていい状態になっています。自分を責め続けることで、次の行動を起こさなくてもいいような、ある種の現実回避になってしまっている、という側面もあると思うんです。

もちろん意識的にそうしているわけじゃないんですが、心の仕組みって、けっこう複雑なんですよね。


🌱 自分を責めることをやめなくていい、かもしれない

「責めている自分」に気づくことから始まる

「自分を責めるのをやめましょう」と言われても、そんなに簡単じゃないですよね。長年のクセって、意志でどうにかなるものじゃない。

だから、やめようとするよりも先に——「あ、また自分を責めてるな」と気づくことだけ、まずやってみる。責めることを止めなくていい、ただ気づく。それだけでも、ちょっと違うかもしれないと思っています。

気づくと、少し外側から自分を見られるようになる。「私って責めてるな〜」と、ほんの少し客観視できるようになる。そのわずかな距離感が、ループを緩めるきっかけになったりします。

「私のせい?」を問い直す小さな習慣

もうひとつ、個人的に試してみてよかったのが、「それって、ほんとうに私のせいだろうか?」 と、一度だけ自分に問い返してみること。

責任の範囲って、思っているよりずっと曖昧なんです。「自分がちゃんとしていれば防げた」と思っていることも、振り返ると「相手にもできることはあったんじゃないか」「そもそも状況がそうさせたんじゃないか」という部分が見えてくることがある。

「全部自分のせい」は、ある意味とても楽な答えなんです。考えなくていいから。でも、問い直すことで、責任の分配が少し見えてくる。そっちのほうが、現実に近いと思います。


まとめ——あなたはどのくらい、自分を責めてきましたか?

人はなぜ自分を責めてしまうのか——考えてきましたが、一つの答えには辿り着けませんでした。脳の仕組みもあるし、幼い頃に身につけたパターンもあるし、他者へのやさしさが形を変えたものでもある。

ひとつ言えるのは、自責しやすい人は、けして弱いんじゃないということ。むしろ、誠実であろうとしている人が多いと思う。ただ、その誠実さを向ける向き先が、いつも自分の内側になりすぎているだけで。

自分を責めることをゼロにしなくていい。ただ、「また責めてるな」と気づけたら、それだけで少し違う景色が見えてくるかもしれない。

あなたはどんなとき、自分を責めてしまいますか? そして、その自責は——誰に向けるはずだった気持ちが、形を変えたものだったと思いますか?🤔


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次回は「人はなぜ怒りを感じてしまうのか」について書こうと思います。感情の中でも扱いにくい「怒り」の正体を、一緒に考えてみます。

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