人はなぜ自分の気持ちを後回しにしてしまうのか——「まず自分より先に」の正体を、一緒に考えてみる

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人生のぎもん

ふと気づくと、自分の気持ちをいつも「後で考えよう」と棚に上げている。

そういうこと、ありませんか?

誰かに何かを頼まれたとき、正直しんどいなと思っても「まあ、いいか」と引き受けてしまう。会議で自分と違う意見があっても、雰囲気を壊したくなくて飲み込んでしまう。疲れているのに「疲れた」と言い出せなくて、気づいたら体が悲鳴を上げている。

わたしにも、そういう時期がありました。長い間、自分の気持ちを「後でいいもの」として扱ってきた時期が。


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自分の気持ちを後回しにする、って気づいていますか?

「後でいいか」が口癖になっていた頃

思い返すと、あのころのわたしは毎日なんとなく疲れていました。

人に会って帰ってきたあと、ぐったりしている。仕事をこなしながら、どこかズレた感じが消えない。でも「なんで疲れてるんだろう」と考えることもなく、ただ日常を流していた。

今ならわかるんですが、あの疲れの正体は「自分の気持ちを無視し続けることのコスト」だったんだと思います。気持ちを後回しにするのって、一見ラクそうに見えて、じつは静かにエネルギーを消費するんですよね。感情って、無視しても消えてくれないので。

気づいたら自分の感情に名前もついていなかった

もっと困っていたのは、いつの間にか「自分が何を感じているか」がよくわからなくなっていたことでした。

「楽しいですか?」と聞かれても、すぐに答えが出てこない。「嫌だったんじゃないですか?」と言われると、「そうだったかな……」となる。感情に名前をつける習慣がなさすぎて、自分の内側が白紙みたいになっていたんです。

これ、わりと深刻なことだったと今は思います。自分の気持ちがわからないまま生きていると、何がしたいかも、何が嫌かも、どんどん曖昧になっていくんですよね。


なぜ人は自分の気持ちを後回しにしてしまうのか 🤔

「他人を優先する=いい人」という思い込みの正体

社会には、暗黙の価値観があります。

「人のために動ける人はいい人」「自分のことより相手のことを考えられる人は立派」——子どものころからそういうメッセージを、いたるところで受け取ってきた人は多いんじゃないかと思います。

この価値観自体は、決して悪いものじゃない。でも問題になるのは、その裏側に「自分のことを優先するのはわがまま」という等式がセットになってしまうときです。

自分の気持ちを大切にすること=わがまま、という思い込みがあると、自分の感情は後回しにして当然、という感覚が育っていきます。頼まれたら断れない、疲れていても「大丈夫です」と言ってしまう、自分の希望を言い出せない——これ全部、じつはその思い込みの延長線上にあるのかもしれません。

日本社会に染みついた「迷惑をかけてはいけない」文化

これ、海外の人に話すとちょっと驚かれることが多いんですが、日本では「人に迷惑をかけない」ことが非常に高い価値を持っています。

子どもの頃から「迷惑をかけちゃダメ」「空気を読みなさい」「我慢も大事」と言われ続けた環境では、自然と「自分の気持ちを主張すること=迷惑をかけること」という回路ができあがっていきます。

もちろん、協調性や他者への配慮は素晴らしい。でも、それが「自分の感情を押し込める練習」になってしまっていたとしたら、少し立ち止まって考えてみてもいいかもしれません。自分の気持ちを無視することが「美徳」になっている社会の中で、わたしたちはずっと生きてきたんです。

自分の気持ちを後回しにすることで「安全」を保つ仕組み

もう一つ、見落とされがちな理由があります。

それは、自分の気持ちを後回しにすることで、傷つかずに済むという側面です。

「嫌だ」と言えば、関係が壊れるかもしれない。「こうしたい」と言えば、否定されるかもしれない。「疲れた」と言えば、弱いと思われるかもしれない。

だから気持ちを表に出さないほうが安全、という判断を、人は無意識のうちにしていることがあります。これは心の防衛本能みたいなもので、責めることじゃないんです。ただ、その「安全策」を長く取り続けると、だんだん自分の感情の扱い方がわからなくなっていく。


自分の気持ちに気づけなくなるとき

感情がどこかに消えていく感覚

感情を長年後回しにしてきた人の中には、「何かを感じているはずなのに、よくわからない」という状態になる人がいます。

悲しいはずなのに涙が出ない、嬉しいはずなのに実感がない、腹が立っているのにどこかぼんやりしている——感情が薄くなったように感じる、そういう経験をしたことはありませんか。

これは感情が消えたわけじゃなくて、自分の感情を無視する練習を長くやってきた結果として、感情へのアクセスが鈍くなっている状態なんだと思います。体の感覚で言うと、ずっと力を入れていた筋肉が、どこに力を入れているかわからなくなった感じ、に近いかもしれません。

「自分は何が好きで何が嫌いか」がわからなくなる

これが一番切ないかもしれない。🌿

好きなものを聞かれたとき、すぐに答えられない。「どっちでもいいです」が口癖になっている。本当はどうしたいかを考えるより先に「相手はどうしたいのかな」と考えてしまう。

これって、自分の気持ちを長期間後回しにし続けた結果として、「自分の気持ちに耳を傾ける習慣」が失われてしまった状態なんですよね。

好みがないわけじゃない。ただ、自分の内側から声が上がってくる前に、外の情報でいっぱいになってしまう——そんな感じでしょうか。


後回しにすることは、本当に「やさしさ」なのか

自己犠牲と思いやりの違いを考えてみる

ここで少し立ち止まって考えてみたいんですが、自分の気持ちを後回しにして他人を優先することは、本当に「思いやり」なのでしょうか。

心理学的な観点から言うと、本当の意味での思いやりは「自分も大切にできている状態」から生まれることが多い、と言われています。自分が満たされていないのに無理して与え続けることは、思いやりというより、自己犠牲に近いのかもしれません。

自己犠牲は、誰かのためになっているようで、じつは「相手に負債感を与えてしまう」こともある。「あの人はこんなに我慢してくれているのに」という罪悪感を、知らずに相手に背負わせてしまうことがあるんです。

本当のやさしさって、もしかしたら自分も大切にしながら、相手も大切にできることなのかもしれない。

自分を大切にすることは、わがままなのか

「自分の気持ちを優先していいの?」という問いに対して、わたしは長い間うまく答えられませんでした。なんか、ずるいことをしているような気がして。

でも今は、こう考えています。

自分の気持ちを大切にすることは、わがままではなく、生きていくための基本的なメンテナンスなんだと。飛行機の安全アナウンスで「緊急時にはまず自分の酸素マスクをつけてから、周囲を助けてください」と言うのと同じで——自分が倒れてしまったら、誰かを助けることもできない。

自分を大切にすることを「許可」するのは、決してわがままじゃない。


自分の気持ちと少しずつ仲直りするには

「感じてもいい」という許可を自分に出す

長い間、感情を後回しにしてきた人にとって、最初の一歩はとても小さなことです。

「あ、今ちょっと嫌だな」と思ったとき、それをすぐに「でも仕方ない」で上書きしないで、一瞬だけそこに留まる。「嫌だな、と感じている自分がいる」と、ただそのことを認める。解決しなくていい。行動しなくていい。ただ「感じてもいい」という許可を、自分に出してみるだけ。

それだけで、少しずつ感情へのアクセスが戻ってくることがあります。

今日の気持ちに、小さく気づいてみる ✏️

実践的なことを一つ言うとすると、「今日どんな気持ちだったか」を一言だけ思い返す習慣、おすすめです。

「今日、ランチが美味しくてなんかほっとした」「今日、あの言葉がちょっと刺さった」——そういう小さな気づきを、心の中でそっとメモするだけ。日記じゃなくていい。誰かに話さなくていい。自分の中で「今日の自分の気持ち」に少しだけ目を向けてあげる、それだけのことです。

長い間後回しにしてきた感情は、一気に回収しようとすると逆につらくなることもあるので、焦らずゆっくりが一番いいと思います。


自分の気持ちを後回しにすることで、何を守ろうとしてきたのか 🌙

その「後回し」の裏にある、傷つきたくない気持ち

ここまで読んできてくれた方に、少しだけ深い問いを投げかけてみたいんです。

あなたが自分の気持ちを後回しにするとき、それによって何かを守ろうとしていませんか?

誰かとの関係を壊したくない。嫌われたくない。重たい人だと思われたくない。「自分さえ我慢すれば丸く収まる」という、静かな信念——。

そういう「守りたいもの」が後回しの裏にあるとしたら、それはあなたが何かを真剣に大切にしてきた証拠でもある気がします。悪いことじゃない。ただ、そのために自分の気持ちがずっとコストを払い続けてきたとすれば、少し立ち止まって見直す価値はあるかもしれません。

答えを出さずに、ただそこに寄り添ってみる

自分の気持ちを後回しにすることをやめよう、と急に決意する必要はないと思っています。

それより、「ああ、自分はまた後回しにしてしまったな」と気づいたとき、それを責めずに「そうか、今日もそうだったか」とただ見守ってあげられるといい。

自分の気持ちを後回しにしてきた習慣は、長い時間をかけて作られたものです。同じくらい、ゆっくりと解いていけばいい。焦らなくていい。

あなたの気持ちは、後回しにされていい存在じゃないんだから。


まとめ——「後でいいか」の裏にあるものを、少しだけのぞいてみよう

自分の気持ちを後回しにしてしまう理由は、「他人を優先する=いい人」という価値観、迷惑をかけたくないという文化的な刷り込み、そして傷つくことへの自己防衛——さまざまな理由が絡み合っています。

「後回しにしてしまう自分はダメだ」という話ではなくて、その習慣がどこから来ているのかを、少しだけ振り返ってみることの話でした。

あなたは自分の気持ちを、どのくらい後回しにしてきましたか? 🌿

そしてもし今、「ちょっと後回しにしすぎてたかもな」と思ったなら、それを気づいた今日が、少し変わりはじめる最初の日かもしれません。


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次回は「人はなぜ自分に期待しすぎてしまうのか」について書こうと思います。自分の気持ちを後回しにするのとは少し逆の方向で、「もっとできるはず」「こんなはずじゃなかった」と自分を追いかけ続ける心の動きを、一緒に考えてみたいと思っています。

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