人生のぎもんをブログに書こうと思ったわけ

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人生のぎもん

「なんでこんなに働いてるんだろう」——そう思ったのは、夕方6時を少し過ぎた会社の帰り道だった。

別に、仕事が嫌いだったわけじゃない。それなりにこなして、それなりに給料をもらって、それなりに疲れて帰る。でもその日はなぜか、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、妙にぼんやりとした疑問が頭に浮かんだ。「自分、なんのために生きてるんだっけ?」

大げさに聞こえるかもしれない。でも、そういうことって、たぶん誰でも一度くらいは頭をよぎったことがあるんじゃないかと思う。深刻に悩んでいるわけじゃない。ただ、なんとなく、モヤっとする。あの感じ。

このブログは、そういう「なんとなくのモヤモヤ」を一緒に眺める場所として始めました。なぜブログという形を選んだのか、どんなことを書いていきたいのか——今回はその話をしようと思います。


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なぜか急に、「なんで働いてるんだろう」と思った夜のこと

ランチを食べながら、ふと頭をよぎった問い

その日の昼休み、コンビニで買ったおにぎりをひとりで食べながら、窓の外を眺めていた。道を歩く人、バス停で待つ人、自転車で颯爽と通り過ぎる人。みんなそれぞれ、なにかに向かっている。

そのとき、なぜか「あの人たちって、何のために動いてるんだろう」という気持ちになった。もちろん、次の瞬間には「そりゃ生活のためでしょ」と自分でツッコんだんだけど(笑)、でもそれで完全にスッキリしたかというと、そうでもなかった。

「生活のため」って答えは正しいと思う。でも、なんか……それだけじゃない気もする。そういう感覚、ありませんか?

誰かに聞くには、ちょっと重すぎる疑問たち

問題はここで、この手の疑問って、誰かに気軽に話しにくい。

「ねえ、なんで人って生きてると思う?」——友達に聞いたら、たぶん「急にどうした?」って顔をされる。飲み会の席で言ったら、場が静まるかもしれない。かといって、ひとりで本を読んで解決するほどでもない。

そういう「誰かと話したいけど、重くなりすぎない程度に話したい」疑問が、世の中にはたくさんある気がする。働く意味、幸せの定義、お金との付き合い方、孤独ってなんだろう——どれも、哲学の教科書に載っているような問いだけど、日常のふとした瞬間に、急に顔を出してくる。


「答えのない問い」を抱えることは、悪いことなのか

モヤモヤは弱さじゃなく、考えている証拠かもしれない

少し前まで、こういう疑問を持つこと自体、どこかで「よくないこと」だと思っていたかもしれない。仕事で結果を出せ、ポジティブでいろ、悩む暇があるなら行動しろ——そういう言葉をたくさん浴びてきたから、「モヤモヤしてる自分」がダメな気がしてきてしまう。

でも今思うと、それはちょっと違うんじゃないかなと。

モヤモヤするのは、ちゃんと何かを考えている証拠だと思う。何も考えてない人は、こういう疑問を持たない。毎日を惰性でこなせる人は、「なんで働いてるんだろう」なんて立ち止まらない。立ち止まれるのは、それだけ自分の人生にまだ「余白」があるということかもしれない。

哲学者だって、ずっと悩んでいた

ソクラテスは「無知の知」と言った。自分が何も知らないことを知ること——それが知恵の始まりだ、と。アリストテレスは「幸せとは活動の中にある」と言ったし、カントは「道徳とは何か」をひたすら考え続けた。

つまり、人類最高峰の頭脳を持つ人たちでも、「答えが出た!以上!」とはならなかった。そう考えると、自分がモヤモヤするのは別に恥ずかしいことでもなんでもないと思えてくる。

ただ、哲学書を読んでも、なかなかピンとこないことが多い(正直に言うと、途中で眠くなることも多い)。もっとゆるく、日常に引き寄せた言葉で考えてみたい——それがこのブログのスタート地点です。


なぜ今さら、ブログという形を選んだのか 📝

日記でも、SNSでもなく、ブログにした理由

考えを整理する方法は、他にもいくつかある。日記を書く、SNSでつぶやく、誰かと話す。

日記は続かなかった(3日で終わった記憶しかない)。SNSは短すぎて、考えが途中で途切れてしまう。誰かと話すのは、さっき書いたように、テーマが重くなりすぎることがある。

ブログという形を選んだのは、「少し長めに書けて、誰かに読んでもらえるかもしれない」という感覚があったから。全然有名じゃなくていい。でも、日記とは違って、ちゃんと「誰かに届く可能性」がある言葉を書きたかった。

あと、たぶん自分の場合、書くことで頭が整理されるタイプなのだと思う。頭の中でぐるぐる考えているだけだと、同じところをぐるぐるするだけで前に進まない。文字にすると、「ああ、自分はこう思ってたんだ」とはっきりする瞬間がある。

「言葉にする」ことで初めて見えてくるもの

心理学の分野では、感情や思考を言語化することを「ラベリング」と呼ぶことがある。漠然と感じていることに言葉を貼ると、それだけで不安が少し落ち着いたり、考えが整理されたりすると言われている。

たとえば「なんか嫌だ」という気持ちも、「自分のペースを乱されることへの抵抗感」と言葉にすると、少し楽になる。「モヤモヤする」も、「やるべきことと、やりたいことがずれている感覚」と言語化できると、次の一歩が見えてきたりする。

ブログを書くのは、そういう作業でもある。自分の中にある「なんとなくの感覚」を、少しだけ言葉の形に近づける練習。完璧な答えじゃなくていい。ただ、言葉の形にしてみる、ということ。


このブログで扱いたい「人生のぎもん」とは

大きな哲学じゃなく、日常のすき間から生まれる問い

このブログで書きたいのは、生死を扱う重厚な哲学とか、宗教的な意味での「人生論」ではなく、もっとシンプルな問いです。

たとえば、こんな問いたち。

  • なぜ人は働くのか。お金のため、承認のため、それとも別の何か?
  • 幸せって、結局なんだろう。持ってないから不幸なのか、気持ちの問題なのか。
  • お金は大事なのか。「お金じゃない」って言いながら、お金を気にしてしまう自分はどういう状態なのか。
  • 孤独って悪いことなのか。ひとりでいることと、孤独でいることは違うのか。
  • 年をとることって、怖いことなのか。

どれも「正解」は出ない。でも、だからこそ考える価値がある。そして、考えることで「自分がどう生きたいか」が、少しだけクリアになってくることがある気がするんです。

正解を出さない、でも一緒に考える場所にしたい

一つ宣言しておきたいのは、このブログは「答えを教えてくれる場所」ではない、ということです。

「幸せとはこういうことです」「人生の意味はこれです」——そういう断言はしません。できないし、する気もない。なぜなら、そういう問いの答えは人それぞれ違うと思うから。ひとつの答えを押しつけた途端に、それは「考える」ことをやめさせてしまう。

だから、ここでしたいのは「一緒に考えること」です。

自分の体験や考えをシェアしながら、「こういう見方もあるよね」「こんな感じ方もあるよ」というのを並べていく。そこから何か感じ取ってもらえたら、それで十分だと思っている。


読者のあなたに、ひとつ聞いてみたいこと 🤔

あなたが最近、ふと思った「なんで?」は何ですか

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

一つだけ、聞かせてほしいことがあります。

あなたが最近、日常の中でふと思った「なんで?」は何でしたか?

電車の中でぼーっとしていたとき、お風呂に入りながら、誰かと話している途中、食事をしながら——そういうタイミングで急に浮かんでくる、小さな問いのこと。

「なんでこんなに忙しいんだろう」でもいい。「自分って結局、何がしたいんだろう」でもいい。「老後って、ちゃんと大丈夫なのかな」でもいい。「家族って、大事にできてるのかな」でもいい。

問いを持つことが、もしかしたら一番の答えかもしれない

ギリシャの哲学者ソクラテスは、「自分が知らないということを知っている」と言った。それが、何も知らない人との違いだ、と。

もしかしたら、問いを持ち続けることそのものが、一種の答えなのかもしれない。答えが出ないままでいい、でも問いは手放さない——それが、たぶんいちばん人間らしい生き方のひとつなんじゃないかなと、今はそう思っています。

このブログが、あなたの「なんで?」をちょっとだけ言葉にする場所になれたらいいなと思っています。


あなたは最近、どんな「人生のぎもん」が頭をよぎりましたか?

関連記事:なぜ人は働くのか——答えのない問いを、一緒に考えてみる

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