「自分って、幸せなんだろうか」
そんな問いが頭をよぎったことは、ありませんか。別に深刻に悩んでいるわけじゃない。でも、なんとなくモヤモヤしてスマホを開いて、気がつけばこのページにたどり着いた——そういう人が読んでいるんじゃないかな、と思いながら書いています。
正直、私もずっとよくわからないんです。「幸せ」って何なのか。仕事がうまくいった日も、好きなご飯を食べた夜も、「ああ、今自分は幸せだ」とはっきり感じたことが、あんまりない。なんというか、確認しようとするたびに、すり抜けていく感じがする。
今回は、その「幸せ」という問いを、一緒にゆるく考えてみたいと思います。答えは出ません。たぶん、出せないし、出す必要もない気がする。ただ、考えること自体が、何かのヒントになるかもしれないので。
「幸せって何だろう」——なぜ急に気になるのか
忙しい毎日の中でふと湧く疑問
日常生活って、基本的に「次のこと」に追われてますよね。仕事、家事、人間関係、お金のこと。そのひとつひとつをこなしていると、一日があっという間に終わる。
で、ふとした瞬間——たとえば夜中にひとりでいるとき、通勤電車の窓に映る自分の顔を見たとき——「あれ、自分って今幸せ?」と問いたくなることがある。忙しいときはそんなこと考えないのに、手が止まった瞬間にすっと浮かんでくる。
これ、実は自然な現象だと思うんです。人間の脳は、余白ができたとき、つまり「やること」が一時的になくなったとき、より根本的な問いに向かいやすくなるそうです。「今自分はちゃんと生きているか」みたいな問いが、ぼーっとしている隙に顔を出してくる。
「自分は幸せなのか」と問いたくなる瞬間
誰かのSNSを眺めていて、なんとなく気分が重くなる。友人が「最近、充実してる」と言っているのを聞いて、ちょっとだけ「いいな」と思う。そういうとき、人は自分の「幸せ度」を無意識に測ろうとします。
ちなみに国連の調査では、日本の幸福度ランキングは毎年40位前後をウロウロしています(2024年は世界51位)。先進国の中ではかなり低い。物質的には豊かなはずなのに、なんでだろう、という話はよく出てくる。
この問いが生まれるのは、たぶん「もっといい状態があるんじゃないか」という感覚があるから。人間は比べる生き物なので、どうしても「今の自分」と「なんとなくイメージする幸せな自分」を照らし合わせてしまう。
「幸せ」には2種類あるって、知ってた?
今この瞬間の喜び(ハピネス)
デンマークの幸福研究機関の研究者、マイク・ワイキング氏は「幸せには2種類ある」と言っています。ひとつは、「短期的な幸せ」。好きなものを食べたとき、欲しかったものを手に入れたとき、旅行で非日常を楽しんだとき——そういう「今この瞬間」の喜び。英語で言うと”happiness”のイメージに近いやつです。
これはわかりやすい。「幸せ〜!」ってなる感じ。ただ、長続きしないんですよね。そのアイスを食べ終わったら消える幸せ(笑)。
じわじわと続く満足感(ウェルビーイング)
もうひとつが「長期的な幸せ」、つまりウェルビーイングと呼ばれるもの。これは瞬間的な喜びじゃなくて、「自分の人生、なんかいいな」という感覚に近い。目標に向かっている実感、大切な人とのつながり、自分らしく生きている感覚——そういうものが積み重なってできる、もう少し深いところにある満足感です。
面白いのは、この2つが必ずしも一致しないこと。「今この瞬間は楽しくないけど、なんか充実してる」ってことがある。逆に「すごく楽しいのに、なんか虚しい」ってことも。どちらの幸せも、人間には必要なんだと思います。
世界の研究者はどう答えているのか
お金と幸せの関係——ある程度まで、という話
「お金があれば幸せになれる」——これ、半分は本当で、半分は嘘、みたいな話があります。
心理学者のダニエル・カーネマン博士の研究によると、収入が増えると幸福度も上がるけれど、それはある程度まで。年収がある水準を超えると、それ以上増えても幸福感はほとんど変わらないというデータがあります(日本円に換算すると、概ね600〜800万円前後が境目とも言われます)。
つまり、「最低限の安心」はお金で買えるけど、「幸せそのもの」は買えない、ということ。当たり前のようで、なんとなく信じにくい話でもある。
ハーバードが80年かけて出した答え
ハーバード大学が1938年から始め、80年以上続けてきた「成人発達研究」という調査があります。数百人の人生を追い続けた、超長期の研究です。で、その結論が意外とシンプルだったんです。
「幸福度に最も影響するのは、人間関係の質だった」
お金でも地位でも健康でもなく、身近な人とのつながりが、人生の満足度を大きく左右する。孤独は身体的な健康にも悪影響を与え、良い人間関係を持つ人は平均して長生きするというデータも出ています。
なんか、シンプルすぎて「そんなことか…」って思いますよね(笑)。でも、それがずっと研究して出た答えだから、妙に説得力がある。
「幸せを探す旅」に出た自分の話
昔の自分が信じていた幸せの公式
私がもう少し若かったころ、幸せにはなんとなく「公式」があると思っていました。仕事でちゃんとした成果を出して、お金に困らなくなって、人から認めてもらえれば幸せになる——みたいな。言葉にするとちょっと恥ずかしいけど、本気でそう思っていたんですよね。
で、その「公式」をわりと真剣に追いかけていた時期がありました。でも、うまくいっているときも、なんかしっくりこない感じがずっとあった。足りないものを補い続けているような、でも何が足りないのかわからない、みたいな。
今の自分が感じる、ちょっとちがう感覚
今は、あのころほど「幸せになろう」と頑張っていない気がします。頑張るのをやめた、というより、「幸せって探しに行くものじゃないかも」と思い始めた感じ。
たとえば、朝コーヒーを淹れながらぼんやりしている時間。夜、好きな音楽を流しながら何もしない時間。誰かと笑ってしょうもない話をした夜。そういうときに、後から「あれ、なんかよかったな」と思う。リアルタイムで「今幸せだ!」とは気づかないんだけど、振り返るとそこにあった、みたいな感覚です。
幸せって、もしかしたら「感じようとすると逃げていくもの」かもしれない。追いかけるより、気づけるかどうか、の問題なのかも、とうっすら思い始めています。まだよくわかってないけど。
幸せの正解は、たぶんひとつじゃない
「幸せになれない」のではなく「定義が合っていない」だけかも
「自分は幸せになれない」と思ったことがある人、多いんじゃないでしょうか。でも、もしかすると「幸せになれない」のではなく、「世の中で言われている幸せの定義が、自分にフィットしていない」だけかもしれません。
心理学者のアリストテレスは「幸福(エウダイモニア)とは、自分の持つ力を存分に発揮して生きること」と言ったそうです。誰かと比べて上とか下とかじゃなく、自分がちゃんと自分として生きているかどうか。
それで考えると、「世間的には成功しているのに虚しい」という人は、他人の定義で生きているのかもしれないし、「大したことはしていないけど、なんか満たされてる」という人は、すでに自分なりの幸せの形を見つけているのかもしれない。
今日一日の中に、もうあるかもしれない 🌿
幸せを「大きな何か」と思っていると、なかなかたどり着けない気がします。宝くじが当たる、夢が叶う、完璧なパートナーが現れる——そういう「ジャンプ先の幸せ」ばかり想像していると、今日という一日がすごく味気なく見えてきます。
でも、ポジティブ心理学の研究では「幸福感の約40%は、日々の行動や習慣によって変えられる」とされています。半分は遺伝や環境の影響があるとしても、残りの4割は自分でどうにかできる可能性があるということ。
今日のランチが思ったよりおいしかった。誰かとちょっとした会話が楽しかった。夕暮れの空がなんかきれいだった。そういう小さな「あ、いいな」の積み重ねが、じわじわと人生の満足感をつくっていく。たぶん、幸せってそういうものなんじゃないかな——と、今の自分は思っています。
まとめ——あなたにとっての幸せは、どんな形ですか
「幸せって何だろう」という問いに、きちんとした答えは出せませんでした。哲学者も研究者も何千年も考え続けてきた問いだから、まあ仕方ない。
ただ、ひとつだけ言えるとしたら——「幸せかどうか」は、外側の条件よりも、内側の感覚に近いものだと思っています。お金があるとか、地位があるとか、誰かに認められているとか、そういう「客観的な指標」より、「自分の今の感覚」の方が、よっぽど正直な答えに近い気がする。
そして、たぶんそれは人によって全然ちがう。あなたの幸せの形は、私の幸せの形とは違うし、同じである必要もない。
一個だけ、聞いてみてもいいですか。
今日、「あ、いいな」と感じた瞬間は、ありましたか?
もしあったなら、それがあなたの幸せの、ほんのちょっとした片鱗かもしれません。✨


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