「あの人、すごいな」と思った瞬間、なんとなく自分が小さく見える。それはきっと、誰もが一度は経験していることだと思います。
認められたい。見てほしい。自分の存在を、誰かにちゃんと確かめてほしい——そういう気持ちって、正直、あるじゃないですか。でも「承認欲求が強い」と言われると、なんかちょっと恥ずかしい感じがしませんか。「そんなこと思ってない」って顔をしたくなる、あの感覚。
今回はそんな「認められたい」という気持ちを、責めず、恥ずかしがらず、一緒にゆっくり考えてみたいと思います。🙂
「認められたい」って、そんなに悪いことなのか
誰だって持っている、あの「見てほしい」気持ち
子どものころ、逆上がりができるようになったとき、最初に何をしましたか? たぶん、誰かに見せようとしたはずです。「見て!できた!」って。
あれは特別な感情じゃない。人間が生まれながらに持っている、ごくごく自然な衝動です。心理学者のマズローは人間の欲求を5段階に整理しましたが、「承認欲求」はその4段目——食べる・安全でいる・仲間に入るという欲求が満たされたあとに、自然と湧いてくるものだと位置づけています。
つまり「認められたい」は、人間として成熟している証拠でもある。逆に言えば、生きることや安全に必死だと、承認欲求を感じる余裕すらない、ということでもあります。
なぜか「承認欲求が強い」はネガティブな言葉になってしまった 😅
最近、「承認欲求が強い人」という言い方は、あまりいい意味では使われていない気がします。「SNSに自撮りを上げまくる人」「自分の話ばかりする人」——そういうイメージが先行してしまっていて。
でも本来、認められたいという感情は、向上心や行動力とも深く結びついています。スポーツ選手が金メダルを目指すのも、研究者が論文を発表するのも、根っこにある「誰かに認めてもらいたい」という気持ちは同じはずで。
問題なのは「承認欲求があること」ではなく、「それに振り回されて疲れてしまうこと」なのかもしれません。
承認欲求はどこから来るのか——人間の本能の話
群れの中で生き延びるための、古い記憶
なぜ人は認められたいのか。一つの答えとして、「生存本能」という視点があります。
人間は、太古の昔から群れで生きてきた動物です。群れの中で認められている人間は、食料も仲間も優先的に確保できる。反対に、存在を無視された人間は、群れから弾かれてしまうリスクがある。そういう時代が何万年も続いた結果として、「認められること=生き延びること」という感覚が、脳に刻み込まれてしまったのではないか——という考え方があります。
だから「承認されたい」という衝動は、理屈じゃないんです。頭でわかっていても体が動く、みたいな。「そんな欲求、持たなきゃいいのに」とは、なかなかいかない理由がここにあります。
マズローが言ったこと、言わなかったこと
マズローの欲求5段階説は有名ですが、ちょっと面白い補足があります。承認欲求には「他者承認」と「自己承認」の2種類があって、マズロー自身は自己承認(自分が自分を認める感覚)の方が高次の欲求だと考えていました。
他者から褒められることで満たされる承認欲求は、「他人の評価次第」という不安定さが伴う。だから、最終的には自分で自分を認められるかどうか——そこが重要だ、というわけです。
これ、頭では理解できるんですが、実践するのが難しいんですよね。自分で自分を認めるって、具体的にどうすればいいのか、なかなかわからない。今の自分も、たまに迷います(笑)
「認められたい」と「比べてしまう」はセットだった
フェスティンガーの社会的比較理論という概念
「承認欲求」と「比較衝動」——この2つは、実はセットで語るべきものだと思っています。
心理学者のフェスティンガーが提唱した「社会的比較理論」によると、人間は自分の価値を判断するとき、他者との比較を基準にする傾向があります。自分が「できている」かどうかを測る物差しが、どこかに絶対値として存在するわけじゃない。気づくと、周りの誰かを見て「あの人よりは上かな」「あの人には及ばないな」と判断してしまっている。
つまり「認められたい」と感じるとき、人は必ずどこかで「誰かと比べている」んです。
認められたい→比べてしまう→自分が足りない気がする→もっと認められたい——この流れ、心当たりありませんか。
SNSが「比較装置」になった日 📱
昔は、比較できる範囲が限られていました。職場の同期、近所の知人、せいぜい地域のコミュニティ。でも今は、スマホを開くだけで、世界中の「うまくいっている人」の断片が流れ込んでくる。
インスタグラムのタイムラインには、旅行の写真、昇進報告、幸せそうな家族の姿。それはその人の「ハイライト」であって、全体じゃない。でも、脳はそれをうまく処理しきれない。「みんな、自分より充実してるな」という錯覚に、どんどん引っ張られていく。
SNSは、承認を「数値」で可視化してしまいました。いいね数、フォロワー数、リプライの量——それが承認のバロメーターになってしまうと、比較はもう止められなくなります。
比べてしまうほど、認められたくなる——この無限ループの正体
「いいね」が増えても満たされないのはなぜか
承認欲求が強い状態にあるとき、面白いことが起きます。認められても、すぐにまた「もっと認められたい」という感覚が湧いてくる。
これは脳の「報酬系」という仕組みと関係しています。いいねが届くたびに、ドーパミンという神経伝達物質が分泌される。この感覚がクセになって、次の「いいね」を求めてしまう——ちょうど、ゲームの達成感に近いメカニズムです。
でも、外からの承認によって満たされる欲求には「底」がない。認められれば認められるほど、次の承認が欲しくなる。これが「承認欲求のループ」です。
他者からの評価を自分の価値の根拠にしてしまうと、評価が下がった瞬間に自分の価値まで揺らいでしまう。これが、認められたいという気持ちが「しんどい」ものになっていく理由のひとつだと思っています。
自分の体験——同期の昇進を知った夜のこと 🌃
少し個人的な話をします。
むかし、仕事を頑張っていた時期に、同期が先に昇進したことを知りました。自分も別に怠けていたわけじゃない。でも、知った夜は、なんというか、空気が抜けたみたいな感じがして。
別に彼を恨んでいるわけじゃない。ただ「自分は認められていないんだ」という感覚だけが残った。今思うと、それは「比較によって生まれた承認欲求の欠乏感」だったんだと思います。
あのとき自分が気にしていたのは、本当に仕事の中身だったのか。それとも「同期より上か下か」というポジションだったのか——正直、後者だったような気がします。それが少し、恥ずかしかったです(笑)
でも今は、それも「人間らしいな」と思えるようになりました。比べてしまう、認められたい——それは、弱さじゃなくて、人間の仕様みたいなものだと。
「認められたい」を、うまく使えないか
他者承認と自己承認、どちらが「本物」なのか
「承認欲求は持つな」「他人の目を気にするな」——そういうアドバイスをよく見かけますが、個人的には少し違うな、と思っています。
承認欲求を「なくす」のは難しい。それより、「向ける先を変える」方が現実的じゃないか、というのが今の自分の考えです。
他者承認(人に認められること)に全エネルギーを注ぐのは、他人の気分次第で自分が揺れ続けることになる。それは確かにしんどい。一方で、自己承認——「昨日より少しうまくできた」「これは自分が納得できる仕事だった」という感覚を積み重ねていくと、少しずつ外からの評価に振り回されにくくなっていく。
アドラー心理学は承認欲求を否定することで有名ですが、その核心は「他者の評価を人生の軸にしてはいけない」という話です。承認欲求そのものを消せ、ということではない——と、個人的には解釈しています(アドラー研究者ではないので、ご参考程度に)。
承認欲求を消すより、向きを変えてみる
では実際、どうしたらいいのか。
一つの考え方として、「認められたい」という感情が湧いたとき、それを「何に対して認められたいのか」に変換してみる、というアプローチがあります。
「誰かに認められたい」→「自分が何をしたときに、気持ちよかったか」を探してみる。褒められた瞬間より、没頭した時間の方に、手がかりがあることが多い気がします。🔍
もちろん、これも簡単じゃないですし、正解もない。ただ、「認められたい」という感情を「恥ずかしいもの」として隠すより、「そうか、自分は今、認められたいんだな」と観察してみる方が、少し楽になれる気はします。
まとめ——あなたは誰に認められたいのか
「認められたい」は、人間の本能です。群れで生きてきた歴史が刻んだ記憶であり、自分の価値を確かめようとする自然な衝動です。
そして「比べてしまう」のも同じです。比較することで、自分の立ち位置を知ろうとする——それもまた、人間の仕様です。
SNSはこの二つの衝動を「見える化」して、「加速」させてしまった。だから今の時代、「認められたい」のループにはまりやすい。
でも、それに気づいていること自体が、すでにちょっと前に進んでいる証拠だと思います。
ひとつだけ、あなたに問いかけさせてください。
あなたが「認められたい」と感じているのは、誰に対して、どんな自分として——ですか?
それを少しだけ考えてみると、「誰かに認めてもらうこと」と「自分が納得できること」の間に、何かヒントが見つかるかもしれません。あるいは、見つからないかもしれませんが(笑) どちらでも、考えてみる価値はあると思います。
次回は「人はなぜ嫉妬してしまうのか」について書こうと思います。承認欲求と比較衝動の話とも深くつながっている、あの「あの人だけズルい」という感情の正体を、一緒に考えてみます。


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