人はなぜ欲しいものが止まらないのか——消費欲の正体について一緒に考えてみる

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人生のぎもん

ネットを開いたら、気づいたら何かカートに入っていた。

そういう経験、ないですか。

わたしはあります。しかもかなり頻繁に。「ちょっと見るだけ」のつもりでAmazonを開いて、30分後には「これは必要だな」と謎の納得感とともにポチっていたことが、数えきれないくらいあります。届いてから「あ、これ別にいらなかったな」と思うことも、同じくらい(笑)。

欲しいものが、なぜか止まらない。一つ手に入れたら次が気になる。買ったはずなのに、なんかまだ足りない気がする。

この感覚、なんなんでしょうね。悪いことをしているわけじゃないし、生活に困っているわけでもない。でもどこかもやっとする。今日は、そのもやっとした感覚の正体を、一緒にゆっくり眺めてみたいと思います。


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人はなぜ「欲しい」と感じるのか

脳の中で何が起きているか

「欲しい」という感覚には、実はちゃんとした脳内の仕組みがあります。

何かを欲しいと感じたとき、脳の中ではドーパミンという神経伝達物質が分泌されています。ドーパミンは「報酬系」と呼ばれる仕組みに関わっていて、簡単にいうと「これを手に入れたら気持ちよくなれるぞ」というシグナルを出してくれる物質です。

面白いのは、ドーパミンは「手に入れたとき」よりも「手に入れる前」——つまり期待している最中に、より強く分泌されるという点です。だから、ショッピングサイトを眺めながらあれこれ選んでいるときのあの高揚感は、実は購入後よりずっと強い。商品が届いた瞬間に「あれ、思ったよりテンション上がらない」となるのは、この仕組みが原因なんですよね。

「欲しい」は本能なのか、それとも刷り込みなのか

ただ、ここで少し立ち止まって考えてみたいことがあります。

「欲しい」という感覚は、はたして純粋に自分の内側から生まれてくるものなのか、という疑問です。

狩猟採集時代の人間には、「持てる量」という物理的な制約がありました。移動生活ですから、必要なもの以上は持てない。つまり、大量に「欲しい」と思っても意味がなかった。ところが産業革命以降、大量生産・大量消費が可能になると、「より多く持つことが豊かさの証明」という価値観が社会全体に広がっていきました。

現代ではさらに、「限定」「今だけ」「残りわずか」といった言葉が至るところで使われています。これは意図的に「今買わなければ損をする」という感覚を脳に与えているわけで、企業や広告はわたしたちの報酬系をよく理解したうえで設計されています。

つまり、「欲しい」の一部は、外から仕掛けられたものかもしれない、ということです。

これ、なんとなく釈然としませんか。自分の欲望だと思っていたものが、実は誰かに作られていた、という感覚。わたしはここを考え始めると、ちょっとした虚しさを感じます。


買っても、なぜまた欲しくなるのか

満足が長続きしない理由

「あれが手に入ったら満足できるはず」と思って買う。でも、手に入れてしばらく経つと、また別の何かが気になってくる。

これ、あるあるすぎて逆に笑えてくるんですが、ちゃんと名前がついていて「快楽順応」といいます。人間は新しい刺激にすぐ慣れてしまう生き物で、どんなに素晴らしいものでも、時間が経てば「当たり前」になってしまうんですね。

心理学では「報酬予測誤差」という概念もあります。「これを手に入れたら○○くらい幸せになれる」という予測と、実際に手に入れたときの幸せのギャップ。そのギャップが大きければ大きいほど、次の報酬への期待が強まる。だから買っても買っても満たされない、というループが生まれます。

「もっと上」を目指してしまう心理

もうひとつ、消費欲を加速させる仕組みがあります。

人は、他人と比べてしまう生き物です(これは以前の記事でも書きましたね)。ものを欲しがるとき、その動機の一部には「見栄」や「他人より優位に立ちたい」という気持ちがあることが多い。でも、上には上がいます。どんなに良いものを持っても、さらに上の誰かが存在するので、この動機が満たされることは原理的にありません。

服でも、家でも、車でも、ガジェットでも——「もうちょっと良いものがある」は、無限に続きます。消費欲が止まらない人の多くは、「欲しいもの」よりも「上にあるもの」を追いかけているのかもしれません。


他人の「欲しい」に引っ張られていないか

SNSが作り出す欲望

少し前まで、人が「欲しい」と思うきっかけは、お店のウィンドウや雑誌の広告くらいでした。でも今は、スマホを開けば24時間、誰かが何かを紹介している。✨

インフルエンサーが使っているスキンケア、友人が買ったというガジェット、誰かが旅行先で食べていたもの。それを見て「なんかいいな」と思う瞬間——これ、哲学者のルネ・ジラールが「模倣欲望」と呼んだものに近い考え方です。人間は他者の欲望を模倣することで、自分の欲望を作り上げる、という考え方。

自分の中に自然に生まれた欲望ではなく、誰かの欲しがっているものを欲しがっている状態。SNSが広がってから、この「借り物の欲望」のスピードと量が、ものすごく増えたと思います。

自分の欲望か、借り物の欲望か

じゃあ、どうすればいいのか。

完全に他人の影響を排除することは難しいし、そもそも人間はそういう生き物なので、無理に排除する必要もないと思います。ただ、「これは本当に自分が欲しいのか、それとも誰かが欲しがっているのを見て欲しくなっただけか」という問いを、ときどき自分に向けてみることは、意外と効くと感じています。

正直、SNSを眺めながら「あ、これ欲しい」と思う瞬間の半分くらいは、後から考えると別に欲しくなかったりするんですよね。


消費欲は「満たされなさ」のサインかもしれない

何かが足りないとき、人はものを欲しがる

心理学の世界では、買い物衝動とストレスや不安には密接な関係があるとされています。

嫌なことがあった日にネットショッピングを開いてしまう。気分が落ち込んでいるとき、カフェやコンビニでちょっと贅沢してしまう。これは「物を買うことで、一時的に気分を持ち上げようとする」行動です。問題は、一時的に上がった気分は一時的にしか続かないので、また同じことをくり返す、という点です。

仕事でうまくいかなかった日の夜、Amazonを開いてしまう——これ、わたしはかなりやっていました。今思うと、物が欲しかったというより、「なんかいいことないかな」という気持ちのはけ口を探していたんだと思います。

本当に欲しいのは、ものではないのかもしれない

少し大げさな問いかけになりますが、「本当に欲しいのは、物じゃないのかもしれない」という可能性を、考えてみたことはあるでしょうか。

承認されたい、安心したい、自分に自信を持ちたい、退屈を埋めたい、孤独を感じたくない——そういう根っこにある気持ちが、「物を欲しがる」という行動に姿を変えていることがある。

物欲が止まらないとき、それは「物が足りない」のではなく、「何か別のものが足りないよ」というサインなのかもしれないな、と思うことがあります。🤔


消費欲と、どう付き合っていくか

「欲しい」を責めない

ここまで読んで、「自分の物欲って問題なのかな」と感じた方もいるかもしれません。でも、そういう話をしたかったわけじゃないんです。

消費欲は、悪いものじゃない。「欲しい」という感覚は、人間が生きるための原動力でもあるし、生活を豊かにしようとするエネルギーでもある。自分を責める必要は、まったくないと思っています。

ただ、「欲しい」という衝動をそのまま全部受け入れなくていい、とも思っていて。ちょっと立ち止まって、「これ、本当に欲しいのかな?」「買った後、どんな気持ちになりそうかな?」と問いかける余裕が、生まれると少し楽になる気がします。

自分なりの「欲しい」の基準をつくる

実践的な話をすると、わたしが最近やっているのは「欲しいと思ったら、リストに入れて1週間待つ」というルールです。

1週間後に見返して、まだ欲しいと思ったら買う。気にならなくなっていたら、そもそも欲しくなかったということ。これだけで、衝動的な「ポチる」がかなり減りました。

「なぜこれが欲しいのか」を自分に問いかけてみるのも面白くて、「ストレス解消?」「誰かに見せたい?」「本当に使うから?」——答えが出てくると、自分の欲望の正体が少し見えてくる気がします。💡


まとめ——欲しいものが止まらない、それは悪いことか

消費欲の正体を、いろんな角度から眺めてきました。

脳のドーパミン、快楽順応、他者との比較、模倣欲望、ストレスのはけ口——「欲しい」という感覚には、いくつもの層があって、そのすべてが「自分の純粋な欲望」とは言えないかもしれない。でもだからといって、「欲しい気持ち」を否定することもできない。

結局のところ、消費欲は人間の一部だと思っています。ただ、それに完全に乗っ取られるのではなく、ときどき立ち止まって「これはなんだろう」と眺めてみる。それだけで、自分と消費欲の関係が、少しだけ変わる気がします。

あなたは、最近「欲しい」と思ったものの中で、「あ、これは本当に欲しかったな」と思えたものはありますか?反対に、「別にいらなかったかも」と思ったものは?

そのちょっとした差の中に、自分の本当の欲しいものへのヒントがあるのかもしれません。😊


こんな記事も書いています

次回は「人はなぜ時間を無駄にしてしまうのかについて書こうと思います。欲しいものと同じで、「時間も止まらない」感覚がある気がしていて——。

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