人はなぜ劣等感を持つのか——「どうせ自分なんて」の正体を、一緒に考えてみる

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人生のぎもん

「あの人、また褒められてる。どうして自分はいつもこうなんだろう」

そんなふうに、ため息をついたことがある人は、きっと少なくないと思います。わたし自身も、何度そう思ったかわからない。職場でさらっとうまくやっている同僚を見るたびに、「自分には何が足りないんだろう」って、もやもやした気持ちが胸の中に漂ってくる感じ。あの感覚、うまく言葉にするのが難しいけれど、たぶんこれが「劣等感」というものなんじゃないかと思っています。🤔

今回は、「人はなぜ劣等感を持つのか」という問いを、一緒にゆるく考えてみようと思います。「克服しよう!」という話よりも、まず「なぜそれが生まれるのか」を知るところから始めてみたくて。答えを出すつもりはないけれど、少しだけ気が楽になるような視点が見つかれば、と思っています。


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劣等感って、そもそも何だろう

「他人と比べて落ち込む」——それが劣等感のはじまり

劣等感とは、ひとことで言えば「自分が他の人より劣っている」と感じる感情のことです。勉強、仕事、容姿、収入、人間関係——何について感じるかは人それぞれで、周りから見たら些細なことでも、本人には切実な悩みになることも多い。

ひとりで部屋にいるときには、そんなに気にならないのに、誰かの隣に立った瞬間にむくむくと湧いてくる。そういう性質が、劣等感にはあります。比較が始まるとき、劣等感も始まる。

コンプレックスとは何が違うのか

よく似た言葉に「コンプレックス」がありますが、これは本来、「特定の事柄に対して持つ、強いマイナスの感情」のことを指します。たとえば、身長に強いこだわりがある、歯並びがずっと気になっているなど、ある一点についての根深い感情がコンプレックス。

劣等感はもう少し広くて、「いま誰かと比べて、自分が下だと感じている状態」全体を指す感じです。コンプレックスは原因、劣等感はその結果に近い感覚かもしれません。


なぜ人間は劣等感を持つようにできているのか

比較は人間に埋め込まれた本能だった

これを知ったとき、少しだけほっとした気持ちになりました。人間が他者と自分を比較するのは、本能の一部らしいのです。

ある研究によると、日常の思考のうち約12%が「自分に関する比較」で、その4分の1は「自分と他者を比べること」が占めているといいます。つまり、比べてしまうのは性格の問題でもなく、意志が弱いわけでもなく、そういう生き物だから、ということです。

進化の観点から考えると、集団の中で自分の立ち位置を把握することは、生存に関係する情報でした。「あの人は自分より走るのが速い」「あの人は自分より食べ物を見つけるのがうまい」——そうした比較を通じて、危険を避けたり、学んだりしてきた。劣等感はその名残、と考えると、少しだけ自分に優しくなれる気がします。

アドラーが言った「劣等感は成長のエンジン」とはどういうことか

心理学者のアルフレッド・アドラーは、劣等感について独特の見方をしていました。彼は、劣等感は人間の行動を動かす根本的な力だと考えたのです。

「自分はまだ足りない」という感覚が、「だから頑張ろう」という動きを生む。これをアドラーは「劣等感の補償」と呼びました。弱さを感じるからこそ、強くなろうとする。できないと感じるから、できるようにしようとする。劣等感そのものは、エネルギーの源にもなりうるという考え方です。

ただ、ここには条件があります。その劣等感が「成長しようとする方向」に向かえばよいのですが、ただ「自分はダメだ」という自己否定に向かってしまうと、エンジンが逆回転してしまう。同じ劣等感でも、どこに向けるかで全然ちがう話になってくるわけです。😌


劣等感はどこから生まれるのか

幼少期の「比べられた記憶」が根っこになる

精神分析家のエリクソンによると、劣等感の根っこは小学生のころにあると言われています。この時期は、集団の中でさまざまなことを学ぶ時期で、はじめて「自分と他人のちがい」がはっきりと見えてくる。勉強ができる子、足が速い子、絵が上手な子——そういう差が目に入りはじめるのが、このころです。

そこに親や先生から「お兄ちゃんはできたのに」「○○ちゃんはもう読めるのに」という言葉が重なると、その比較が心の深いところに刻まれることがあります。当時の自分は純粋に傷ついているのに、大人はたいして気にしていないことも多くて。そういう積み重ねが、「自分は劣っている」という感覚の土台になっていくのかもしれない。

わたしも、子どものころに誰かと比べられたときの感覚って、今でも妙にリアルに思い出せることがあります。あのころ刻まれた何かは、なかなか消えない。

SNSが劣等感を加速させた時代

現代はさらに複雑で、SNSが劣等感の「燃料」になっています。

昔は比べる相手が、せいぜい同じクラスや職場の数十人でした。でも今は、スマートフォンを開くだけで、世界中の「うまくいっている人たち」の生活が目に飛び込んでくる。旅行、昇進、結婚、フォロワー数——しかもそれは、本人にとっていちばん「いい瞬間」だけを切り取ったものです。

完璧な瞬間だけを集めたハイライトと、自分の日常を比べてしまう。これは、完全にフェアじゃない勝負です。なのに、なぜか頭がそれをわかってくれない。それもまた、人間の性質みたいなもので、わかっていてもなかなか止められない。😔


劣等感が強くなるのはどんなとき

理想が高すぎると、現実との差が劣等感になる

劣等感は、「現実の自分」と「なりたい自分」のギャップから生まれる部分が大きいと言われています。理想を高く持つことは素晴らしいのですが、その理想が現実とかけ離れすぎていると、いつも「足りていない自分」だけが目につくようになってしまう。

完璧主義な人ほど、この罠にはまりやすい。うまくできた部分ではなく、できなかった部分にばかり目が向くので、どんなに頑張っても「まだ足りない」と感じつづけてしまう。今思うと、若いころの自分はまさにそういう状態だったかもしれません。結果がそこそこよくても、「もっとできたはず」という感覚が先に来て、素直に喜べなかった。

「認められたい」という気持ちが強い人ほど苦しくなる

研究によると、「他者から褒めてもらいたい」「認められたい」という承認欲求が強い人ほど、劣等感を感じやすいそうです。自分の価値を、他人の評価の中に置いてしまっているから、評価されないと自分がゆらいでしまう。

これは承認欲求についての記事でも書いたことと繋がるのですが、「認められたい」という気持ちそのものは自然なもの。ただ、それが「他人の評価がなければ自分の価値がわからない」という状態になると、どうしても苦しくなってしまう。

他人の評価は、コントロールできません。だから、そこに自分の軸を置くのは、不安定な足場に乗っているようなものなのかもしれない。🌿


劣等感と、どうつき合っていけばいいのか

「比べること」をゼロにする必要はない

よく「他人と比べるのをやめましょう」と言われますが、わたしはそれが完全にできるとは思っていません。さっきも書いたように、比べることは人間に組み込まれた機能で、完全にオフにするのはたぶん無理です。

それよりも、「比べることで何を感じているか」に少し注目してみるほうが現実的かもしれない。「あの人みたいになりたい」という羨望なのか、「自分はだめだ」という自己否定なのか、「あの人はあれが得意なんだ、自分はちがうところで頑張ろう」という方向づけなのか。同じ「比べる」でも、その後の感情の行き先で意味が変わってきます。

劣等感を「自分を知るヒント」として使う

劣等感を感じるということは、裏を返すと「自分がこういうことを大切にしているんだな」ということが見えてくる瞬間でもあります。収入に劣等感を感じるなら、お金や安定に対して自分が強い価値を置いているのかもしれない。容姿に劣等感を感じるなら、見た目や印象について自分が気にしていることがあるのかもしれない。

劣等感は、自分の「気にしているもの一覧」を教えてくれるセンサーとも言えます。それ自体を敵にするより、「ああ、自分はこういうことが気になるんだな」と、ちょっと観察するくらいの距離感が取れると、少し楽になることがあります。


それでも、劣等感は消えないままでいい

完全に消えなくて当然、という話

正直に言うと、劣等感は完全に消えるものじゃないと思っています。年齢を重ねても、場所が変わっても、なにかの瞬間に「あの人はすごいな、自分は……」という気持ちはやってくる。それが人間というものなのかもしれない。

むしろ「劣等感がまったくない状態」というのも、少し怖い気がします。他者に無関心で、成長への意欲もなく、ただ満足しているだけ——それはそれで、なんか淋しい気もする。劣等感があるということは、まだ何かを求めているということだと、今のわたしは思っています。

「どうせ自分なんて」から「でも、自分は——」へ

「どうせ自分なんて」という言葉の後には、たいてい暗くて重いものが続きます。でも、そこに「でも、自分は——」を続けてみると、少し景色が変わることがある。

「どうせ自分なんて仕事できないし……でも、自分は話を聞くのが得意だったりする」「どうせ自分なんてお金ないし……でも、自分は無駄のない生活に慣れていたりする」。完璧な反論じゃなくていいし、大したことじゃなくてもいい。ほんの小さな「でも」が、劣等感を少しだけ緩めてくれることがあります。🌱


まとめ

人が劣等感を持つのは、他者と比べる本能、幼少期の記憶、SNS時代の環境、高い理想と現実のギャップ——さまざまなものが重なり合っているからだと思います。そしてそれは、「あなたが弱いから」ではなく、人間として生きていることの副産物みたいなものでもある。

劣等感を完全になくすことはたぶんできないし、なくす必要もないかもしれません。大切なのは、それをどこへ向けるか、なのかもしれない。

あなたは今、劣等感を感じているとしたら、それはどんなことに対してですか?そして、その感覚の奥に、自分が大切にしているものが見えてくることはありますか?


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次回予告

次回は「人はなぜ自己評価が低くなるのか」について書こうと思います。劣等感とも深く関係する、「自分を過小評価してしまうクセ」の正体を一緒に考えてみたいと思っています。

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