友人の結婚報告を聞いたとき、ふと胸がざわついた。 同期が先に昇進したと聞いたとき、「おめでとう」と言いながら、心のどこかが沈んだ。 SNSでたまたま見た知り合いの投稿に、じわっとした嫌な気持ちが湧いた。
こういうこと、ありませんか?
正直に書くと、わたしはあります。何度も。そのたびに「自分ってこんなに器が小さかったのか」とか「嫉妬するなんてみっともない」とか、自己嫌悪までセットでついてきて、二度しんどくなる、みたいな経験を繰り返してきました。
嫉妬って、感じること自体がすでにつらい感情だと思います。
でも最近、ちょっと考え方が変わってきました。嫉妬って、そんなに悪いものじゃないのかもしれないな、と。いや、苦しいのは変わらないんですけど、少し見方を変えると、なんかこう……自分のことが少しわかる感じがして。
今日はそういう話を、一緒にゆるく考えてみたいと思います。
嫉妬って、なんでこんなにしんどいんだろう?
「あの人だけズルい」——でも声には出せない
嫉妬が厄介なのは、声に出せないからだと思います。
怒りは「それはおかしくない?」って言えます。悲しみは「つらい」って言えます。でも嫉妬って、なかなか「嫉妬してます」って言えない。「あの人に嫉妬してる」って正直に口に出せる場面、ほとんどないですよね。
なぜかというと、嫉妬することは「自分が負けを認めること」みたいな感覚があるから、だと思うんです。嫉妬してるってことは、相手の方が上だと思ってる、ってことを自白することになる気がして。だから隠す。飲み込む。そしてひとりでじわじわ苦しくなる。
しかも、相手は別に悪いことをしてないんですよ。出世した同期も、幸せそうな友人も。そんな人に嫉妬しちゃってる自分がいると、「わたし、性格悪いな……」ってなる。そこからまた落ちる。なかなかしんどいループです😔
なぜか自分まで嫌になってしまう、謎の連鎖
嫉妬のもう一個の厄介なところは、嫉妬する相手を恨むより先に、嫉妬した自分が嫌になるという現象です。
「あの人ずるい」じゃなくて「嫉妬してしまうわたしってどうなの」というベクトルに向かう。これって、ちょっと損してませんか。感じてる感情は一個なのに、自己嫌悪というおまけまでついてくる。
この二段階の苦しさのせいで、嫉妬は他のネガティブ感情より消耗が多い気がします。
嫉妬はどこから来るのか——脳と本能の話
「近い相手」にしか嫉妬しない、という不思議な法則
ここで少し、仕組みの話をしてみます。
嫉妬の面白い(いや、面白くもないけど)特徴として、「遠い相手には嫉妬しない」というものがあります。
たとえば、超一流のプロ野球選手の年収を聞いても、「なんであいつが……」とはなりませんよね。世界的な大富豪を見ても、「ずるい!」とはなりにくい。でも、同じ職場の同僚が自分より少し早く昇進したり、同じくらいのタイミングで起業した友人が成功したりすると、とたんにモヤッとする。
これは脳科学的にも説明されていて、嫉妬が発生するのは「自分でも届きそうな相手」に対してだから、とされています。遠すぎる相手には、もはや比較の土俵に上がらないんですね。
わたしも思い返してみると、確かにそうで。昔、フリーランスで仕事を始めたばかりのころ、売れっ子の著名人には嫉妬しなかったのに、同時期にスタートした知り合いが先にうまくいくと、じわっと苦しくなった記憶があります。「あいつとそんなに差があったのか」と、なぜかその事実がダメージになる。今思うと、わかりやすいくらい「獲得可能性が近いから嫉妬する」の法則通りだったな、と。
失いたくない、という恐怖が嫉妬を生む
嫉妬には、もう一つの顔があります。「相手を羨む」だけじゃなく、「大切なものを失いそうで怖い」という感情も嫉妬の正体のひとつです。
たとえば恋愛における嫉妬。パートナーが誰かと親しくしている、という状況。あれは「その人が羨ましい」というより「自分との時間や関係を奪われるかもしれない」という不安と恐怖がベースにある気がします。
つまり嫉妬って、本質的には「自分が大事にしているものを守りたい」という感情 でもある。そう考えると、ちょっと違って見えてきませんか。攻撃的な感情というより、怖がっている感情。
SNS時代が嫉妬を増幅させている
これは現代特有の話ですけど、SNSって嫉妬の培養器みたいなところがあります 🌱
以前なら「遠い知り合いが豪華旅行に行った」という情報は自然に入ってこなかった。でも今は、5年ぶりに連絡を取るような人の「今日も充実してます」な投稿が流れてくる。比べる機会が圧倒的に増えた。しかも相手は「自分と近い距離感の人」だったりするから、嫉妬が発生しやすい条件が揃いすぎている。
フォローを外せばいい、ってよく言われますけど、それもなかなか踏み切れないですよね(笑) 見なければ楽なのに、見てしまう。それもまた人間らしいところではあります。
嫉妬するのは、自分がそれを「欲しい」から
嫉妬の対象は、自分の願望の地図かもしれない
ここで、ちょっと発想を変えてみたいんですが。
嫉妬って、「自分が欲しいと思っているもの」を持っている人にしか、しないんですよね。ランニングに全く興味がない人は、マラソン完走者に嫉妬しない。料理が好きでもない人は、料理上手な人を妬まない。
つまり逆から読むと、嫉妬の対象は、自分が本当に欲しいものを教えてくれる。
「あの人の自由な働き方が羨ましい」と思うなら、自分は自由に働きたいのかもしれない。「あの人の仲の良い家族関係が羨ましい」なら、自分はそういう関係性を大切にしたいのかもしれない。嫉妬というのは、実は自分の欲望の地図みたいなものじゃないかな、と最近思っています。
わたし自身、若いころに「文章を書いて生きている人」に強烈に嫉妬した時期がありました。当時は「なんであの人ばかり」とモヤモヤしていたけど、今思えばあれは「自分もそうしたい」という気持ちの裏返しだったんですね。嫉妬が、自分の願望を教えてくれていた。
憧れと嫉妬は、じつは紙一重
「憧れ」と「嫉妬」って、紙一重だと思います。
相手が自分より圧倒的に遠い存在なら「憧れ」になる。でも、少し届きそうな距離にいると「嫉妬」になる。感情の性質は似ているのに、名前が変わる。
「憧れています」とは言えても「嫉妬してます」とはなかなか言えない。でも、内側の感情のエネルギーって、たぶん同じところから来ている気がします。
「嫉妬=悪い感情」なのか、ちょっと疑ってみる
嫉妬は人類最古のモチベーション?
嫉妬って、かなり原始的な感情です。赤ちゃんにも嫉妬はある、という話を聞いたことがあります。弟や妹が生まれると、上の子が赤ちゃん返りするのも、嫉妬が関係していると言われています。
それほど根っこが深い感情、ということは、嫉妬には何かしら生きるうえでの機能があるはずです。
「あの人みたいになりたい」「自分だってできるはずだ」という気持ちが、人を動かしてきた側面もある。嫉妬が完全なくなったら、向上心もなくなるかもしれない、くらいのことを言う人もいます。それが正しいかどうかはわかりませんが、「嫉妬が一切ない人間が健全かどうか」は、ちょっとわからないなとも思います。
嫉妬は、使い方次第で方向が変わる感情なのかもしれません 🔥
嫉妬を感じた自分を責めるのは、二重に損している
さっきも書きましたが、嫉妬してしまったあとに「こんなことを感じてしまった自分はダメだ」と追い打ちをかけるのは、かなり損だと思っています。
感情って、基本的に「感じてしまう」ものです。怒らないようにしようと思っても怒るし、悲しまないようにしようと思っても悲しい。それと同じで、嫉妬しないようにしようと思っても、人間ってするときはしちゃう。
だとしたら、「嫉妬してしまった」のは仕方ないこととして、その後どう扱うかの方が大事なんじゃないかな。感情に善悪をつけて、自分を裁く必要はないのかもしれません。
嫉妬と、どう付き合っていくか
嫉妬を消そうとしなくていい
よく「嫉妬しない方法」みたいな記事がありますが、「嫉妬を完全に消す」というのはたぶん現実的じゃないし、必要でもないと思っています。
大事なのは、嫉妬したことで相手を攻撃しないことと、嫉妬した自分を必要以上に責めないこと、この二つだけかなと。そこさえ抑えておけば、嫉妬という感情そのものは、あっていい。
「嫉妬しない人格者になろう」じゃなくて、「嫉妬しても、ま、そういうこともあるよな」くらいのスタンスで向き合えたら、少し楽になる気がします。
「モヤッとした」を、そっと観察してみる
嫉妬を感じたとき、おすすめしたいことがひとつあります。それは、その感情を消そうとせずに、ちょっと観察してみること。
「あ、わたし今モヤッとしてる。どうしてだろう。何が欲しいんだろう」と、少し引いたところから眺めてみる。
感情に飲み込まれると苦しいけど、少し距離を置いて「これは何の信号だろう」と見てみると、意外と自分の本音が見えてくることがあります。さっき書いた「嫉妬は欲望の地図説」です。モヤッとしたとき、「これは自分が大切にしていることを誰かに見せてもらっているのかもしれない」と思ってみると、ちょっとだけ見え方が変わります。
完全に納得できるかどうかはわかりません。でも、嫉妬を「消すべきダメな感情」じゃなくて「何かを教えてくれる感情」として受け取ってみると、少し付き合いやすくなるかもしれません 🌿
まとめ——嫉妬は、自分を知るための感情だった
改めて整理してみると、嫉妬という感情には、こんな側面がありそうです。
近くにいる人にしか嫉妬しない——それは自分にとって届きうる何かを、相手が持っているから。大切なものを失いたくないという恐怖が、嫉妬という形で出てくることもある。そして何より、嫉妬の対象は自分が本当に欲しいものを指しているのかもしれない。
嫉妬って、やっぱりしんどいです。それは変わらない。でも、「自分って器が小さい」と落ち込む前に、「何がそんなに気になったんだろう」と少し立ち止まってみることで、自分の願望や価値観が見えてくることもある。
嫉妬は、自分への問いかけとして使える感情なのかもしれない——と、今はそんなふうに考えています。答えではないけど、今のところのわたしの見方です。
あなたが最近「モヤッとした」嫉妬の感情、その奥には何がありそうですか?
次回は「人はなぜ認められたいのか」とは少し違う角度から、”劣等感”の話を書こうと思います。


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